三成と大谷吉継。。。

もう有名な2人の友情ですが。。。

大谷吉継は。。秀吉の子飼いの家臣の一人で。。
大変活躍した武将で。。秀吉からも気に入られ。。三成とは親友でした。。

ココだけ読まれる方のために。。
三成が。。人を見下したような性格で嫌われていた話は。。江戸時代に作られた話で。。領民想いで。。秀吉政権の確立するために働きましたが。。秀吉の晩年。。強引な政治に不満が起き。。三成が考えて秀吉にそうさせたのだと。。され。。不満。批判は三成の負うところとなります。。

家臣の一部からは。。「いつも弾の届かぬ所にいて。。太閣殿下に取り入ることばかり考えている」などと批判された。。

これは。。朝鮮出兵で。厳しい秀吉の命令が原因ですが。。それを伝える役目が三成で。厳格に任務を遂行する三成で。。同じ子飼いの家臣なのに。。特例を設けないからと。不満の矛先が三成に向いてしまったものでした。。
また。。いくら秀吉の命令を伝えようと 命令に従わない家臣のことを。。現状を正しく伝える者として。。秀吉に伝えたことに。。三成に筋違いな憤懣を募らせることとなった。。とか。。

三成は戦でも活躍していたのですが。。

戦には。。相手のことを知り。。作戦を考え。。兵力を考え。。兵士の数。。武器の数。。季節。。日数。。食糧。。地形。。距離。。あらゆることを計算し。。お金を出し。。準備する。。こういう事を任せておける回転の速い戦を知っている家臣は。そう居ないので。。秀吉は三成を信頼し。。その役目を任されていたので。。

そう思われてしまったのか。。誤解されてしまったらしいのですが。。江戸時代に書き換えられたものが多いので。。それも。。何故残っているのか。。

真実はもっと。。良い三成像が伝えられていたのかも知れません。。家康に無関係の悪評を作りだしたものなのかも知れません。。これでも実際より悪く書き替えたので。。残っているのかも。。。。



三成と大谷吉継の話を。。簡単に。。。。


(コレは 歴史街道にも載っていて。。先日TV東京でも紹介されたエピソードです。。)
佐吉(三成)は秀吉に気に入られて秀吉子飼いの家臣となります。

その少年佐吉に。。秀吉の家臣になりたいと。。大谷吉継(大谷形部)が頼んだという。。とても佐吉にそんな力はなく。。考えた佐吉は。。15歳の元服時に。。

秀吉から「元服のお祝いに2000石(現在の2億円)の加増をしてあげよう。」。と言われます。
三成はその2000石を辞退し。。大谷吉継を 同じく秀吉の家臣として召し抱えて下さるように推奨したという。。「近古史談」より。。。


(これは有名なエピソード。。)
また。。吉継はハンセン病(らい病)を患ってしまい。。手や顔の皮膚がただれてしまって。いつも頭巾をかぶっていましたが。。
秀吉の開いた茶会に。。断ることが出来ず仕方なく出掛けます。。

(茶会のお茶も様々な立て方があり。。一人分ずつ立てるもの。。お薄。。お濃茶。。この話は。。。。ひとつの茶器にお茶を人数分入れ。。まわして飲んでいくという。。飲み方の時のこと。。)

吉継は自分が飲んだあと。。同じ茶器で飲むのは嫌だろうと。。口をつけずに回そうとしたけれど。。顔の皮膚から膿が茶の中に落ちてしまった。。

その場が凍りついたという。。
吉継は秀吉の茶会で大変なことをしてしまったと。。お茶をどうする事もできずに居ると。。

三成は次の番ではなかったのですが。。。
「喉が渇いている。。早く回せ」と自らその茶を取って。。一気に飲み干し。。「旨いのう。。」と言ったそうです。。「宗湛日記」より。。

吉続は。。この三成の友情に深く感謝し生涯三成との友情を誓ったという。。。。


でも。。秀吉が亡くなり。。家康の力が巨大になり。。
吉継は家康側によっていました。。
家康の会津討伐(上杉に謀反の疑いがあるという。。)の命令にも従い。。会津(上杉)討伐に向かっていたのです。。
そこに。。三成の使者から使いが来て。。佐和山城に招かれました。。
そこで。家康を討つ計画を告げられます。。

家康256万石。。三成19万石。。
吉継は。。大義は秀頼。。三成にあるけれど。。風は家康にあると。。
大谷吉継は。。当初。。三成の話は無理だと。。賛同しませんでした。。
しかし。。秀吉。。秀頼への恩に忠義を貫く揺るがない三成の強い想いを知って。。家康の命に背いてまで。。三成との友情に従う事に決めたといいます。。


関ヶ原の戦でも馬にも乗れない重病でありながら。。輿に乗って参戦し。。その主君吉継の熱い想いでまとまっていた大谷軍は。。
大谷600。。小早川8000。。という10倍以上の軍に対し。。善戦しました。。

秀吉というより。。三成の友情に応える参戦だったと。。
東軍と戦い。。寝返った小早川軍に攻められ。。更に寝返った赤座軍。小川軍。脇坂軍。。朽木軍に。取り囲まれて破られてしまいますけど。。

素晴らしい友情です。。


ただ。。 上杉景勝。。兼継は。。
家康が会津討伐に向かってきますが。。
三成が挙兵した。。という知らせで。。Uターンして関ヶ原向かいます。。

兼継は。。景勝に家康を討つよう進言したものの。。上杉の義に反すると。。関ヶ原に行ってませんからね。。


原作には。。
大谷吉継と三成の良い話は出て来なかったのですよ。。
ドラマにもでてこないような。。。
しょうがないですけど。。。


だったら。。小早川のことも原作には出てこないので。。
出さなくて良いはずなのに。。。。
三成のものの言い方が悪かったことが。。小早川が。。寝返りを決心し。。西軍の負けにつながった話を。丁寧に描くらしいのですが。。。



それなら。。今までのように 家康が業を煮やし。。発砲し。。驚いて動く。。という話でいいんですけど。。
(本当は鉄砲の届く距離ではなく。。違うらしいのですが。。。)


観るのが辛い。。。。