三成。。蒲生氏郷毒殺事件。。秀次失脚事件。。

下に秀次事件の事を朝書きましたが。。いやいや。。。ドラマ「天地人」で。。やってくれました。。18時からのBSで見ました。
秀次失脚事件での三成批判。。

秀吉へ批判が向かないよう三成が一人で被っていると。。
兼続への秀吉の台詞で。。視聴者に解ってもらえました。。
このドラマ。。新しい三成の話をやっとしてくれました。。

家康が。。再び三成に大老間で嫌味をいう場では。。上杉景勝が三成に言うのは筋違いだと。。 (*^-^*)
待ってたよ〜〜
実際には。。そういう場はなかったでしょうけど。。
同じ脚色でも三成の名誉回復をしてくれるなら。。
初めて「天地人」を気持ちよく観れました。。^^
要らない脚色されたエピソードばかりでしたけど。。
今回は良かった。。
初音さんの存在も 初めて生かされたような。。


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1595年2月7日。蒲生氏郷40歳で急死。

江戸時代に書かれた「石田軍記」「蒲生盛衰記」には実録のように三成に毒殺されたと書かれてしまってます。。

伊達政宗直江兼続による毒殺だという書もあるとか。。)

でも実際は病死。。


当時、蒲生氏郷は朝鮮に渡るために肥前名護屋佐賀県)で待機中に亡くなった。。
または京都の伏見蒲生屋敷に戻って死去と。

とにかく佐賀で医者に診てもらっています。
診察したのは曲直瀬道三。他9人の医者信憑性の高い。。当時の診察記録・カルテ「医学天正」に詳しく残っています。。

黄疸がでて。頸部が痩せ衰え、目の下や手足に浮腫が出て手が付けられない状態。
この記録から。。現代の医学で言う。。
膵臓癌(すいぞうがん)。。か。。大腸癌。。明らかな病死だったそう。。

なので。。三成が毒殺したというのも。。何でもかんでも。。三成のせいにしてしまったという。。話のひとつ。。


蒲生氏郷は大変活躍した武将の一人で。。

氏郷の重臣達が主君氏郷の死後。。信頼する三成に仕えているんです。。

蒲生頼郷も。。関ヶ原で。。三成の一番の家臣。。島左近とともに最後まで勇敢な戦いをしたという。。

蒲生郷舎(さといえ)も。。関ヶ原で三成とともに戦います。。

なので。。三成が主君を毒殺なんて。。家臣達は疑っても居ないのですよ。明らかに病気だったので。。

ちなみに三成はこの時。。朝鮮出兵中でした。。。。


如何に「石田軍記」が。。悪意で作られた信憑性の低い書か。。。。わかっちゃいますよね。




本日放送されそうな。。三成のせいにされちゃいそうな秀次失脚事件も。。

先日お話したように。。
http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20090813/p7

秀吉が。。急に出来たわが子秀頼に必ず後を継がせたいという強い思いから・・秀次の存在が。。安心出来ず。。処刑しようとします。

小早川秀秋が養子に貰われながら。。また他所へ出されたという話もそうですが。。秀吉の。。やっとできた実の子秀頼。。母の淀君の地位を何がなんでも守りたい一心で。。)

三成は 事態解決に奔走しますが。。秀吉の意志は固く。。
秀次。。妻妾。。子供達。。30人も殺されてしまいます。。

三成は事件後被害を最小限にくい止め 関係者の救済に勤め。。
秀次の家臣。。木村宗衛門を召し抱え。。若江八人衆と呼ばれる武士たちを庇護しました。。

三成が事件前後に秀次の為に必死で奔走してくれる姿を知っているからです。。


彼ら(木村宗衛門や。。若江八人衆)も関ヶ原で三成とともに戦ってます。。


三成にしてみれば。
朝鮮出兵。。伏見城築城の出費など。。家臣達の批判が秀吉に向う事が一番恐れていることで。。代わりに批判が自分に向けられるのは構わないと。。想っていたような。。そんな忠義の人です。。


しつこい私。。