「天地人」。。

今回は。。前田利家が亡くなった日に 武断派達(福島。加藤)が三成を襲い。。
三成が家康の元へ逃げた。。と。
(前にも書きましたが。。ちょっと違って。。http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20090902/p7。)

兼続が淀に頼んで、家康に淀から 三成を助けるように頼んだ。

淀は家康が三成を殺してしまわないように
「助けてくれてありがとう。」と手紙を出す。
簡単に三成に手を出せないことがわかる。

三成は家康のもとに行きながら、家康に屈しない態度を貫く。
家康は怒り、佐和山へ蟄居を命じる。

兼続は毛利輝元に援助を頼む。
家康批判に。。輝元は。。諌める言葉を言うけれど。。家康は
更に三成が自分の命を狙った罪を挙げ、兼続の批判、も。
景勝が。。大きな声で家康にモノ申し。。
兼続も家康に。。秀吉の約束を忘れたかと。。つめよる。

(「天地人」ですからね。。こういう場面が要ると。)

家康は会津に国替えしたことを持ち上げ帰るように勧める。
兼続は会津に帰っては。。家康に在らぬ疑いをかけられると危惧する。。

考え込む兼続にお船さんが。。おおらかに支える。。
小早川秀秋は上杉が会津へ帰るのを不安がる。。

(色々と。。ちょこちょこ。。思いますが。。

世間で言われている。。三成の悪い評判を。。家康のたくらみによって誤解された。。。と言ってくれている話でした。。
でも。。気になったのは。。)

佐和山に蟄居した三成。。ガックリと力を落とし、兼続に励まされ。。
秀吉があれほど兼続を欲しがったか。。良くわかると。
自分には人がついて来ないが、兼続には人が集まると。。
福島も加藤も兼続だったら、付いてきたと。
淋しく言い。。兼続を持ち上げる。。

(しょうがないですね。。
何故か。。見せどころの よき理解者の兼続との2人のシーンが 受け入れ難いって。。どうしたらいいんでしょう。。兼続を持ち上げて。。三成がいつも諌められたり。。励まされたり。になって。。
最後には。。三成が兼続との別れを惜しんだように。。握手の手を差し出し。。兼続が。。顔をみて微笑んで ゆっくり手を出し。。
三成がまだ手を握ってる中。。兼続は颯爽と会津に向かう図。。
何故。。逆効果なシーンを作っちゃうんでしょう。。
そんな三成。。違う。。でも。。もう最後だっていうから。。


三成は。。武断派からの 妬みや 言われない中傷に。。自分の誤解を解くようなこともしない。。
元々、武断派は、朝鮮出兵に際し、不満を言い、秀吉からの命に背き、現場を乱していたわけで、秀吉の代わりに命を伝える三成を逆恨みしたという。。
現場の士気を乱さぬよう、三成が支持しても聞かず、仕方なく、正しく報告したところ、褒美が少なかったという。。
今の。。悪いことをしておきながら、先生に 正しく報告されて責めるみたいな。

実のあることをしっかり務める男らしい人物だと思います。
女々しいクダラナイことを考えることも。。自分の行いに言い訳をせずとも、解る人に解れば良い。。豊臣の為になることには懸命だけども、自分の評判をあげる。。認めて貰う。。という事を一切考えないような。。凛とした人。

なので。。そういう真っすぐで。賢く。誠実な人柄から。多くの武将に信頼されてもいたのです。。。

三成の危機に。。宇喜多秀家は即、八千の兵を用意し。。
中国の毛利。。かつて。。三成によくして貰った武将達。九州の島津、立花、常陸の佐竹も兵を率いて三成のもとへ馳参じようとしていたのですから。。)。。


兼続は否定し。。私利私欲のない三成を認め色々と褒めます。。

そして。。上杉はこちらからは決して攻めないが、
攻められれば討つと。。景勝も言ってましたが。
兼続も念を押して言ったことは。。


関ヶ原の戦いの前。 家康の会津討伐に向かったときに。。
三成が上杉に動くように言ってもなかなか。。伊達が居て動けず。。その動かなかった事の理屈付けに。。

「背を向けた相手を討たない。」
「こちらから決して攻めない。攻められれば討つ」ということを何度も言う必要があるんですね。上杉の義だと。。


(ただ。。私が読んだものは。。佐和山蟄居からあの壮大な戦まで。。

三成は。秀吉から、秀頼を頼まれ。。豊臣を守るために。。常に次の事を考え、回転の速い人で。。蟄居してこんなにのんびりと落ち込んだ日々を過ごしたとは思えなかったです。。


色んな事に長けて居て。。
頭を使う仕事は勿論。。
大閣検地を成し遂げたり。。
戦ベタと言われるのも間違ってますし。。
戦でも先駈衆として一番槍の功名を上げたり。。

三成は。戦の準備。。作戦。。季節。。地形。。兵力の計算など。。すぐに計算して。。いつでも動けるように準備をしようと。。のんびりなどして居なかったと。。

関ヶ原までに。。兼続がしたのは「直江状
家康が上杉に謀反の疑いを掛けた。。その家康に。。
直江状」を突きつけた。。
とても家康を怒らせてしまい。。会津討伐になりますが。。
その直江状は堂々としたもので、高く評価されているのです。。
地元では凄い評判だそうで。。


歴史的にも。後世に 上杉も。。兼続も。。三成との伝わり方と違うのは。。
三成とともに 当然家康に討ってくると思われた上杉が 徳川に向けて戦わなかったから。もし。。上杉に動かれて居たら。。徳川の被害は大きく。。天下の分け目はどうなったか。。)


もう直江状をつきつけた時点で。。戦う意思を示していると思われるので。。戦って欲しかったですけど。。

ドラマでは。。上杉の義を言い過ぎずに。。
伊達に睨まれて。。とても身動きが出来ない。。。と
言った方がずっと潔い気がします。。。