蜷川さんのプライム8。。旬君。。(少し追加しました。)

他の事もしながらTVも付けていて。。大雑把で。。順番も違っているかと思いますが。。ちょっとだけ。。伝わってきたことを。。


蜷川さんの開成高校時代。。反発を抱いたこと。。芸大を選んだこと。。俳優から演出家へ。。。。とご自身の歩んでこられた道をインタビュアーの質問に。。答えられていました。。

新しいことを生み出すこと。。自分一人では大変で。。誰かと融合したり。。苦手なことをやってみたり。。ギリギリのものに挑むことになる。。

商業舞台だということ。。。賛同を得られない。。集団の崩壊が無かったら僕の人生はなかった。。。
本質は変質していないことの証明。。自分の存在証明をすることへの原動力に。。

世間の評価。。厳しいマスコミの妨害。。
蜷川を肯定スル記事は載せない。。批判だったら載せる。。という新聞もあり。。
ライターからそれを教えて貰った。。


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萩原さんの特番で。。蜷川さんがちょっと映っていらっしゃいましたが。。
蜷川さん「萩原君のような。。同じような人が前に居なかったので。。第一人者としての苦労や。。孤独。。不幸があるんだよね。」と。。萩原さんをよく理解し。。励まされる想いを持っていらっしゃって。。

萩原さんはそういう蜷川さんをとても愛しているように。。
お会いした時に。。蜷川さんに抱きついてキスされてました。。

安田講堂でも。。蜷川さんと東大学生運動を応援した経験があると。。語られていて。。本当に。。萩原さんがあの時にお名前を出された
瀬戸内寂聴さんと 蜷川さんは 特番にも映っていましたが。。その時代の大きな方が味わった辛い思いを理解して貰える貴重な存在だったのかなと。。感じました。。

蜷川さんご自身も似たような苦しみを。。味わいながら。。それに負けることなく。。今は正当に近い評価をようやくされてきたかと思うと。。本当に凄い方だと。。改めて思いました。。

(「カリギュラ」の時に世の中の不条理に苦しみ。。怒りを覚える皇帝カリギュラを。。小栗の為に用意した。。
小栗が感じているイライラしたもの。。怒り。。生きにくさ。。自分と似てる。。とも仰ってましたが。。その理由がわかるようなお話でした。。)

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また。。世の中に影響を与える者として。。観る者に「希望」を簡単に語ることは出来ないと。。
表現者の真摯な想いからの大事にしている要素でした。。

過去に。。ある男に映画館に居た蜷川さんは来てくれと言われ。。劇場の外へ。人目につかないお店のテーブルの下でナイフを突きつけられ。。
「希望を語りますか?」と言われたと。
驚いて「希望なんてないよ。」と言ったところ。。
「良かった。希望を語ったら。。刺すつもりだった。」と。言われたそう。。
恐らく学生運動に関わった人。。希望が敗れる現実がある。。
その男の顔は忘れたけれど。。その時伝わってきたものは忘れない。

単に演劇。芸術。。ではない。。
何を伝えているか。。しっかり観ている人がいる。。
演劇の影響の大きさを知った。。責任を感じた。。
千のナイフ。。。千の目を意識するように。。


(「間違いの喜劇」の本番直前に。。セットの綺麗さにやはり。。納得がいかず。。セットを汚すことをスタッフにお願いしたとパンフにありましたが。。
その意味も。。解るような。。)

蜷川さんの言葉に時々現れる。。「猥雑」。。
(美香さんの本の中にも出てくる。。。「猥雑」という言葉)

現実に世の中にあるもの。。そういうものを排除した。。キレイごとで。。作り手として。。世に出せない。。。観る者はそういう世界の中で生きているから。。
自分の根拠をその中に探す。。千の目に耐えうるもの。。



蜷川さんが。。演劇で脚本の世界を舞台で表現する時に。。作者の激しい生みの苦しみの中から出てきた「台詞」「言葉」に敬意を持っていて。。ほとんどが台本通りだと。。。。

他者が作った世界。。脚本を。。変えずにどう演出するか。。
人間には可能性がある。。想像力で納得していく。。

教える。。演出する。。そういう自分が正しいのか。。おこがましさを感じる。恥ずかしいと感じる。。中高を遠くまで通った自分。近所の友人に恥ずかしさがあった。自分より出来る友人が近所に通ってる中。。後ろめたかった。。
演出家が傲慢にならないように。。エリートぶって見えるような自分を消したい。。という想いがある。

普通の生活者であることが大切。。
そういう普通の感覚を持ち続けながら。。


お金を出し。。はるばるやってくるお客さんは。。演劇に「ある非日常」を求めている。。
色んな違った環境や。。想いで生きている観客に。。そのままお芝居を始めると。。様々な受け取り方で。。バラバラで集約できない。。

舞台の世界へ。。日常から 非日常。。別世界に引き込むために。。最初の3分が演出家の勝負だと。。。


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別々の人間に。。同じ感覚で観て貰えるように。。独特なオープニングが用意されている意味も。わかりました。。

そう。。。これはお芝居ですよ。。と。。

「お気に召すまま」では。。オープニングで旬君は。。小栗旬からオーランドーになるべく着替えをします。。

「間違いの喜劇」では。。後ろからキャスト全員音楽に乗って踊りながら入ってきます。。お芝居が始まりますよ。。と
「タイタス・アンドロニカス」でもそうでした。。

「ムサシ」では。。巌流島からのお芝居ですが。。そのあとの時間が経過を表し。。。舞台のセットの林が。。幻想的に動きます。。観客が歩き進むように林に入っていくようにして。。一気に別世界へ。。

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色んな想いを経験してある認識していくもの。。それが演技に活きる演劇をやりたい。。そういうことを組織する演出をしたい。。

自分だけのアイデアではなく。。役者が生み出すものを取り入れて幅を広げていく。。

ギリシャ悲劇を日本人が演出し。。本場ギリシャで褒められる。
海外で認めらる。。それでも。有頂天にならない自分。。虚脱。。虚無感を抱く。
恥ずかしいと感じる。。中高の頃。。遠くに通う自分を近所に通う友人に恥ずかしいと思った想いに似てる。。

海外公演から帰国してすぐに。。演出家と。。主役とが。。。ドイツの世界的な舞台を観に行って。。偶然出会った。。賛辞を受けても。。責任を感じる者だけが翌日。観に行ってた。。世界の位置を確かめたかった。。評価をそのまま。。受け入れてない。。自分で確かめにいった。。

恥ずかしさ。。警戒心を感じる。。

そのあとで。。有頂天にならずに次になにを作るか。。身体を酷使していると。解ってくる。。追い詰められていくと。。出てくる妄想。。イメージがある。。コレで。。身体を壊してしまったこともある。。
新しい自分に会いたい。。恥ずかしい自分。。良い気になってると思われることを消したいというせめぎ合い。。
そうやって。。酷使して出てきたものは。。良いものもあるけど。。ふくよかさに欠ける。。視点が少ない。。

演出家としては。。身体を酷使してまで努力を惜しまず突っ走って来られた。。。。自分に戻ると。。孤独。。人との付き合いなど。。大変だと想いながら。。

演出の面白さ。。自分の知らない自分に出会えたり。。知らない世界を知ることが出来る。。作品を思い描き。。おもちゃ。試験。。遠足。というわくわくとした想いがある。。

説得力を持った人間。。演出家になりたい。。変化出来ると思いながら。。



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これは。。蜷川さんの事に言及してはないのですが。。。。


マスコミによって。。素晴らしいと思わされていく作品。役者。監督。演出家。。がいて。。

同時に。。マスコミによって。。悪く低く評価され。。世間にそれが浸透していく。。作品。。役者。。も。。

それでも打ち勝てる方もいらっしゃるけれど。。
それによって。。消えてしまう。。相応しい道から外されていく方も。。


マスコミや。。ライターの作りだす。。正当でない表記。。
悪意に満ちた報道に惑わされない 読者。。視聴者。。が。。マスコミの質を上げていくかと。。

小学生でも感じる。。偏見に満ちた報道は勿論。。
偏ったマスコミの姿勢に惑わされない。。
偏った悪意のある記事の雑誌を買わない。。
悪意のサイトにアクセスしない。。
作られていく。。不自然な概念に。。
揺らがない視聴者。。が変えていけることかもしれないですよね。。


大きな組織の手がかかったマスコミ記事は違和感を感じます。。

ある大手の事務所のドラマで。。第1回の視聴率が前作品を上回ったことはニュースで伝え。。その後下降して。。平均視聴率が前作品を下回ったことは。。なんのニュースにもならない。。

ヒットさせたいドラマに マスコミも加勢し。。そういう記事を書くライターは。。重宝され。。

正当に書くライターは仕事がなくなっていく。
それは報道の自由ではないです。。

旬君は大きな組織やマスコミに守られている俳優ではないので。。色々と心配が絶えませんが。。ファンの声の多さはマスコミや大きな組織の妨害から。。旬君を守ることになると思います。。

妨害は 結局。。自分達のタレントの為にもならないと解って貰えるには。。ファンの姿勢や。。説得力のある支持だと思います。。

なにか。。アンケートなどがあったり。。投書する機会がありましたら。。旬君の支持の言葉を。。どうか。。他人任せにしないで。。お一人が1枚でも。。1アクセスでも。。していきましょう☆ 
相変わらず。。生意気で。。申し訳ないデス。。
(*^-^*)/ m( _ _ )m