先月「告白」の監督が映画「時計じかけのオレンジ」について語ってました。。

中島監督の語る映画「時計じかけ〜」は魅力的です。。
でも。。映画ならでは出来た部分もあるかも知れませんが。。舞台でどう。。伝えてくれるでしょうね。。^^



http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20100618-OYT8T00593.htm

中島哲也を変えた時計じかけのオレンジ
人間への認識深めた

 大学生のころにリバイバル上映か何かで見たのが最初だと思います。

 この映画を見たことによって、いろんなことが開けた。映画や人間に対する認識を深めて行く、そのきっかけになった最初の映画です

 主人公アレックスは、シェークスピアのリチャード三世のように相当魅力的な悪者

雨に唄えば」を歌いながら作家夫婦に暴力の限りを尽くす場面は、それまで見ていた映画とは全然違う衝撃で胸に迫ってきたし、ある意味気持ち良かったりする。ショックでした。そう感じてしまった自分は一体何なんだろうと

 悲惨で痛々しいっていう思いもある反面、ちょっと面白いと思ったり。文章で表現しようとしたら、ものすごい量の活字が必要になるような感覚をパッと植え付けられる。

 わずか1秒か2秒ですごく大量の情報が伝わってくるというのが、映画的な瞬間というのだと思うんですけれど、スタンリー・キューブリック監督の映画はそれがとても多い。映画でしかできない表現を突き詰めて、一番高度にやった人。台本に書かれたせりふとか、アクションとかで推し量れないものが、人間の中にうずまいている。僕は原作を映画にする意味を考える時、キューブリックが作った色々な映画を見ます。「告白」でもそうでしたが、ヒントを与えてくれる。

 やっぱり、お客さんと対話していますよね、あの監督は。見てどう感じるか、常に突きつけてきて、見た人たちは考えていく。それは確実に映画の楽しさであるし、そういうことがあった方が心に残る。

 倫理的、社会的正しさを声高に主張するために映画なんて作る必要ない。ある意味、暗部を含めて人間を見る方が世の中のためになる気がします。自分の悪意とか弱さをきちっと見つめる機会はあるべきだし、見つめてないと逆にやばい。なぜ、映画は良識的な人間ばかり描くようになってしまったんだろう。

 今のヒューマンな映画をたくさん見ている若い人たちが「時計じかけ」を見たら、心揺さぶられると思います。そして、「なんで、残虐なアレックスを格好良く思っちゃったんだろう」などと、見ていた時の感覚と対話することで、自分を知っていく。それはすごくいい映画の見方

 「告白」にも色々な人たちが出て来ます。映画を見てる最中に彼らをどう見たか、見終わった後、考えてくれれば面白いな、と思いますけれどね。(聞き手・恩田泰子)

 ◇なかしま・てつや 

 1959年福岡県生まれ。CM制作会社を経て87年からフリーのディレクターとして活躍。88年、オムニバス作品「バカヤロー! 私、怒ってます/第二話 遠くてフラれるなんて」で劇場映画初監督。「下妻物語」「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」など話題作を相次いで手がける。現在、湊かなえの同名小説を映画化した監督作「告白」が公開中。「生徒に娘を殺された」という中学の女教師(松たか子)と、事件にかかわった人物たちの告白で、人間の様々な面を浮かび上がらせる衝撃作だ。


 ◎時計じかけのオレンジ

 スタンリー・キューブリック監督による1971年の映画。英国の作家アンソニー・バージェスの同名小説を基に描く悪魔的な近未来風刺劇。

 残虐行為とベートーベンだけが生きがいで、欲望を全開にして生きていた反逆児アレックス(マルコム・マクドウェル)は、逮捕されて刑務所入り。洗脳治療を受けて模範市民として社会に戻るが、報復の嵐にさらされる。行き過ぎた自由と、その反動としての管理社会、両方のひずみを、多彩なイメージ、音楽と共に衝撃的に描き出した傑作だ。ワーナー・ホーム・ビデオからDVD、ブルーレイ発売中。

(2010年6月18日 読売新聞)