武藤将吾さんより。。



2004年。武藤将吾さん。初の連続ドラマの脚本を任せられ。。そのドラマ「ハングリー・キッド」に旬君が出演し出会って親しくなる。
ANNで。。楽しいドラマだったね。と共演の池内さんと話してましたね。^^。。

2005年。武藤さん脚本電車男」に出演した旬君。。

2005年「偶然の音楽」の舞台を武藤さんが観に来て下さり。。旬君が思い描き続けている脚本の話をする。。。

武藤さん:2006年の6月に原稿が出来上がってすぐに小栗君に見せたら『もうこのままでも撮れます。』って言ってくれて。。
実は僕はその言葉で満足してしまって、この脚本に関しては完結していたんです。。

脚本の改訂作業。。途中、小栗君と路頭に迷うこともあったり(笑)。けれど、彼は初志貫徹したというか、誰にも流されなかったから
結果的に僕が3年前に書いたものに近い脚本になった
完成した脚本は、スタッフやプロデューサーと共に闘って出来た宝物
小栗監督の熱や想いが詰まったいい作品に。
2006年居酒屋で「ここから全てが始まるんだ。わくわくするよね。」と語ってくれた。
2006年。舞台『タイタス・アンドロニカス』公演。吉田鋼太郎さん。横田栄司さんとイギリスにも行きました。そこには高校の友人キョウちゃんも観に来てくれました。
キョウちゃん=赤坂匡介さん(SSの現場スタッフとして小栗監督を支え。。SSオフィシャルブログを管理して下さってます。)

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以前も書きましたが。。

(旬君がANNで語った話。。以前から書いていた話がどんどん広がってしまい書きあがらず。。深夜ドラマ「ハングリー・キッド」で親しくなった武藤さんが。。ドラマから数カ月後の旬君の舞台「偶然の音楽」を観に来てくれ。。楽屋で書きたい話しがあると伝えた。。後日。居酒屋で旬君が長年思い描く内容を武藤さんに伝えたところ。。映画化されるかどうかも分からない。いち役者の話なのに。。3ケ月間も、他の仕事を断って。。脚本を書いてくれた。という旬君には大切な脚本。)

2008年 +act。。武藤将吾さん。。
小栗君から「ハングリーキッド」みたいな本を書いて欲しいという話があった。その頃。。脚本家としての方向性に迷いがあった時期で。。これは巡りあわせかと思って書いた。。そうして書いたものが。クローズにつながっていった。

(旬君が。。それ(「シュアリー」の脚本)を持っていろんな方に映画化を持ちかけたところ。。賛否あって。。事務所社長には。。遅れて。。見せたところ。。
クローズの映画化で原作者を納得させる脚本が出来ずに。。行き詰っていた社長が気に入り。。武藤さんを紹介してくれ。。となって。。旬君の想いは『シュアリー・サムデイ』で。。初映画監督&初映画脚本家デビュー。。の希望だったものが消え。。〜ZEROにつながることに。。これはこれで。。勿論。素晴らしい作品となってよかった。。と。。)

他の仕事をしないでオリジナルを書くっていうことの大変さ。これは小栗旬に賭けたから出来たと。役者じゃなく、監督としての小栗旬に賭けてみたいという気持ちで。「力になってあげたい」と思わせる彼の人柄が大きかった。。  

「ハングリーキッド」で、それまで二枚目のイメージしかなくて、大丈夫かな。。と思ったけれど。でもやってみたら。。三枚目の人が三枚目をやるよりずっと面白くて。小栗旬の株がガッと上がった

今後当分小栗旬とは組みたくない。。それは、小栗旬を主役で書くというのはよほどのものでないと。。「武藤さんもここまでだな」と思われたくないから。やるからには今までにない小栗旬の役を作りだしたい。役者でそんな風に思うのは小栗旬だけかも知れない

演技力も、才能も、努力もある種凄く恵まれているけれど、彼はなりたいのは変わった役者だと思う。「変人に憧れる才人」だ。

自分のスタンスが凄くよく見えている。普通の25歳では見えるものではない。きっと大人なんでしょうね。しかも常識人。きちんとご両親に育てられたんだろう。だからこそ、そんな彼には二枚目を演じて欲しい

凄い紳士とか。いつか彼にしか出来ない二枚目をやってほしい。
世間に求められている役にちゃんと応えていくというのも凄く立派なことだと思う。

もし次に小栗旬で何か書けと言われれば これまでより更に二枚目を書くかも知れない。(笑)

飲み会では旬君が一人でいると放っておけない気がして傍にいくと、旬君との話に夢中になって話をすると。話を引き出させるのが上手い。^^

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2009年の日本映画magazine。。武藤将吾さんインタビュー。。
http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20100105/p5

ライターさん:現場の会見で小栗さんは4年前から映画の構想があったとおっしゃっていました。

武藤さん:小栗君が4年前というのは、彼が自分で脚本を書こうとして時期だと思います。もともと僕と彼が知り合ったのは04年の夏にやった深夜ドラマで、その時に僕の脚本を気に入ってくれたのがきっかけです。

で、翌年の暮れに小栗君から突然電話がかかってきまして、
渋谷の居酒屋に入って開口一番、『役者も好きだけど、いつか映画も作りたいんです』と言われたんですよ。

彼が撮りたいと言っていたのは、ファンタジー色の強い男5人の青春物語で、魅力的な要素もあったけど、脚本家の視点からみたら、映画化するにはちょっと無茶な内容だったんです。
だから、僕には書けないって言ったら『じゃあ、今のは全部忘れて下さい。』って。

ライターさん:随分潔いですね。

武藤さん:そう(笑)。その後に『オレ、武藤さんの脚本が好きだけど普段は制約が入ってなかなか自由に表現できないじゃないですか。だから、そういう制限を取っ払った“武藤将吾の本気”が見てみたい』って言われたんです。

当時僕は29歳で、6歳下の若者にそんなことを言われたら黙ってられないじゃないですか。だから『じゃあやる』って(笑)。

ライターさん:武藤さんの心を動かしたのは小栗さんの熱意ですね。

武藤さん:そうですね。それで飲みながら、若い世代の俺たちが創る青臭い青春映画があってもいいんじゃないかって盛り上がって、僕も20代最後のオリジナルという意識を持って3カ月仕事しないでこれ1本だけに集中しました。


ライターさん:最初に書いた脚本はどんなお話ですか?


武藤さん:犯罪の要素が入った青春映画。実は日本にはあまりないなと思ったんです。若者の犯罪映画とはちょっと意味合いが違います。
例えばイギリスだと麻薬問題や貧困問題から起こる犯罪があって、そういう背景から若者の叫びが生まれてくると思うのですが、日本の若者は叫ぶ動機がないんですよね。そこで、敢えて、“平和ボケが生んだ傷”をテーマにすれば、今の若者に届くかなと思って。
さらにそこに、小栗君が当初やりたいと思っていた話のキーワードを散りばめていきました。


ライターさん:第1稿を読んだ小栗さんの反応は?


武藤さん:2006年の6月に原稿が出来上がってすぐに見せたら『もうこのままでも撮れます。』って言ってくれて。。

実は僕はその言葉で満足してしまって、この脚本に関しては完結していたんです。。
その直後に。。山本又一郎さんから。。「クローズZERO」の脚本を任せたいと。。

これ(「クローズZERO」)であの脚本も報われたなぁという感じで。

だから「シュアリー」をやるって聞いた時は「え?!やるの?」っていう感じでした。。

今ってオリジナル脚本が世の中に出る機会がなかなかないじゃないですか。だから全然実感がわかなかった(笑)。しかも小栗君とは『若者のための映画だから、やっぱりミニシアター系だよね』なんて言ってたのに 気づいたら規模がとんでもなく大きくなっていて(笑)。まあ、そこが僕と小栗君を悩ませたところでもあったんですけど

最終稿が完成する前に小栗君に呼ばれて家に行ったら。。僕の前で彼がひとり芝居を始めたんですよ。全ての役を一人で演じて自分が言い辛いセリフとか演出しづらい部分を2人で修正していって。僕としては小栗君の一人芝居を独占鑑賞しているみたいで得した気分でした(笑)。
気づいたら彼と12時間もぶっ通しで本作りをしていて、朝方には、彼が『右目が開かねぇ!』と言い出したり、僕が『考え過ぎて目が回った』と気分をわるくしたり。今思えば2人で限界に挑戦した貴重な経験です(笑)

ライターさん:もはや忘れられない作品ですね。

武藤さん:そうですね。でも、脚本の改訂作業は本当にしんどかった。途中、小栗君と路頭に迷うこともあったり(笑)。けれど、彼は初志貫徹したというか、誰にも流されなかったから結果的に僕が3年前に書いたものに近い脚本になりました

でも改訂作業がなかったら、ただ、若者が騒いでいるだけの話になっていたかもしれません。だから、完成した脚本は、スタッフやプロデューサーと共に闘って出来た宝物だと思います

ライターさん:撮影現場はご覧になりましたか?

武藤さん:いつもはほとんど現場に行かないんですけど、今回は2回ほど行きました。小栗君は撮った絵をどうやって生かそうかと常に考えているみたいでした。
その姿は紛れもなく“監督”でしたね。実際現場では近寄りがたかったし(笑)。
普段は部屋に篭もって仕事をしているので、一つの作品にこれだけ多くの人が関わっているんだというのが肌で実感できて僕自身にとってもすごく貴重な体験でした。



ライターさん:完成が楽しみですね。


武藤さん:小栗監督の熱や想いが詰まったいい作品になると思います。

3年前(2006年)『ここから全てが始まるんだ。わくわくするよね。』って渋谷の居酒屋で夢を語ってくれた時から、監督小栗旬は始まっていたんです。そして彼の気持ちは今も変わってなくて、むしろその想いは日に日に強くなっているんじゃないですかね。


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2007年。。武藤さん脚本「クローズZERO」

舞台「お気に召すまま」のさいたま公演と地方公演と重なって。。行ったり来たり。。ギリギリの体調で。。出演した「花ざかりの君たちへフジテレビの脚本家の武藤さんの作品ですからね。。^^

2008年。。「クローズZERO」の続編を撮ることに。。TBS系の映画ですが。。多忙なフジの武藤さんにまた脚本を書いて貰い。。旬君も出ることに「クローズZEROII」。。
2008年は「シュアリー・サムデイ」の映画化を断念。。2009年実現

シュアリー・サムデイ」まで。。長い月日がかかって。。TV局間も。。色々と。。あったでしょうけど。。武藤さんの作品に3つ参加することになり。。どの作品も素晴らしかったし。。そこで一緒になった方々(三池監督。やべさん。孝之君。蒼甫さん。伊崎兄弟。。綾野さん。山口さん。春馬君。とーま君。ひろ君。高橋光臣さん。他いっぱい)とのお仕事は旬君には貴重で。。
きっと監督としての力量も大きくしてくれたことでしょうし。。よかったですよね