小栗旬・吉田松陰。。。本日1話から登場☆


ドラマにはなりそうにない。。松蔭が青年になる前のこと。。色々書く予定でしたが。。><。。

本日から「八重の桜」放送。。ということで。。慌てて。。

以前。。ざっくりと記しましたが。。

http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20121019/1350607856

http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20121031/1351678465

もう少し。。

「吉田」というのは。。松陰が6歳の時に養子にいった先の家名。


松陰は。。長州藩の「杉家」の次男として生まれました。。幼名=虎之助。。
杉虎之助には。。兄と弟と妹もいて。。
父親から。。小さい頃から兄とともに武士として厳しく躾けられて育ちました。。



松陰には。。後に松陰にとって。。人生を変えることになる二人の叔父がいて。。

その叔父たちは。。それぞれが他家へ養子に出ていました。。
吉田家玉木家へ。。そして家督を継いでいました。

それが。。二人の叔父。。
吉田大助と。。
玉木文之進。。。。


吉田家というのは・・長州藩兵学師範山鹿流兵学の家柄でした。

しかし。。吉田家には跡継ぎがなくて。。松陰の叔父の大助が養子となりましたが。。なんと急死してしまい。。。。

そこで。。急遽。。まだ6歳の松陰が。。養子に出ることに。。。。吉田大次郎となって家督を継ぐことに。。


養子。。といっても普通の家の。。親・兄弟との別れ。。ではなく。。

僅か6歳で 先ほども書きましたが。。長州藩にとって重要な吉田家の家督を継ぐのですから。。大変です。。
     
長州藩兵学師範(山鹿流兵学)の家柄なので。。家督を継ぐ松蔭は。。まず。。藩校明倫館の兵学師範なることが責務という重い任務付き。。
  
(その大変な兵学教育を松蔭に指導してくれたのが。。もうひとりの叔父さん。玉木文之進でした。。)
      
この方は。。長州藩兵学師範(山鹿流兵学山鹿流免許皆伝を持つ人で。。松陰に山鹿流兵学を厳しく教え込んでくれました。。


そして。。実は。。この叔父さんが玉木家宅で。。松下村塾を開いた人でもありました。。
でも。。その頃。。松下村塾は有名ではなかったのです。。)



玉木文之進の厳しい薫陶を受け、松陰は成長します。。

薫陶=「徳」で人を感化すること。すぐれた人格で教え育て上げること


松陰はわずか11歳で。。長州藩代13代藩主・毛利敬親の前で山鹿流『武教全書』戦法篇を朗々と講じ。。
その講義があまりにも見事で。。藩主も重臣たちも驚いたという。。。

それで。。「松本村に天才あり」と。。吉田大次郎=吉田松陰の名は。。萩城下に広く知れることになったという。。11歳で。。


なんだか。。賢さが。。石田三成とも共通していて。。^^
大河ドラマで。。小栗旬が。。とびきり賢い人物をオファーされるって。。^^素晴らしい☆