舞台『カリギュラ』

既に皆さまは、多くの雑誌やレポートなどを、ご覧になられていらっしゃることと思います。
私は演劇について、語れるほど詳しくなく。。感想を抱いてもそれを表現するのは色々足りないもので、本の中から共感出来たり、納得できたりしたものの一部を 掲載させて頂いたりしておりますが。。
今日はコレを。。以前にも掲載しましたが随分前なので。。
木俣冬さんが。。色んな舞台をご覧になって、役者の演じる心が現れたモノを感じ取って 幾つか載せていらしたので。。
後半、演じる心の違う役者さんの事も書かれていらしゃいますが、敢えてこう書き方をされたのかわかりませんが、素人の者に伝わりやすく書いて下さったのかな。。と。お陰で、前半に挙げた役者さん達の「演じる」「表現する」というものの大きさが解ってきます。。ちょっと興味深かったもので。。
小栗さんのハムレットの時のは、小栗さんのアイデアで、蜷川さんに提案したと知っていましたが、他の方々のは知らなくて面白いです。。
演出家、監督の描こうとする世界を理解したうえで、演じていて、こうしては?と言うものを自らも出して、それが演出家にとってとんでもないものではなく、感心したり納得のいくものが加わっていく。。熱意のこもった稽古の場が思い浮かばれます。。

。。。。以下一部コピーさせて頂いたものです。。。。。

心を入れ替えた私は、
 一部略ー
毎日何かしら締め切りがあるって
本当にありがたいね。

ところで、
私は最近、芸について考える。
道具を使ったり、ちょっと印象的な動きをしてみたり、
俳優は、感情を表現するために工夫をする。

最近では、松山ケンイチさん。
彼は「デスノート」のLを演じる時に、
句読点を無視したしゃべり方をした。
そして、お菓子を串刺しにすることで、Lの心境の変化を
表現した。

たとえば、小栗旬さん。
ハムレット」で、死んだハムレットにキスをした。
次世代を僕が受け継ぎますよというフォーティンブラスの
気持ちを表現した。
カリギュラ」でも、死に際の二本指を上空にかざすのは、
とても意味深い。
ト書きで動きを指示されある種縛られている戯曲の中で、
自分の証明をしたといえる。

コリオレイナス」の唐沢寿明さんも、最期、
いつまでも剣をふるい続けた。

同じく「コリオ〜」の勝村政信さん。
階段にしゃがむ仕草が多いが、これも計算された動き(意図はパンフに書いてある)。

「オセロー」の吉田鋼太郎さん。
キャシオーを副官から下ろす時、彼の肩章を外す。

ある人は、ある映画で、気持ちが高揚しながらの帰り道の
表現に、サッカーのドリブル?のような動きを採り入れてみたそうだ。

藤原竜也くんは、技巧派というよりはパッションの人だが、
たとえば、そのパッションを壁面を使って表現するのが巧い。
自分の熱情がもっとも効果的に見える場所を瞬時に見つける。

勝地涼くんもそのタイプかもしれない。
カリギュラ」で、横田栄司さんがケレア長谷川博己さんに
キスするところ。キスするという行為もおもしろいし、
長谷川さんが冷静に額をぬぐうのもいい。
有機的に作られたシーンだ。

後ろとか三階から見る人たちには、
これくらい形に還元してもらわないと、
感情がわからないこともあるのだよ。
そしてやっぱりそういう動きがスパイスになる。

欲望という名の電車」での篠井英介さん。
何もしなくても、背中が、ちょっと疲れた女性のものだった。
こういう女の人の少しだけ丸まった背中、見たことある!
と思った。

こういうこともある。
でも、
何もしてないようで、おそらく、ものすごく意識してるんだと思う。
感情を震わすだけじゃなく身体を意識して使ってるんだと思う。


映像だったら、表情をアップで見せてくれるし、
イメージカットの挿入で感情を表現してくれたりする。
ものすごくひきで、立ってる人を見せたら、
ある程度その人に力があったら、例えば孤独は伝わってくる。
例えばウキウキした感じも伝わるだろう。

だから、何もしないで、
自分の空気だけで人に何かを伝えたいと思ったら、
舞台じゃなくて映画にいけばいい。
もしくは、ダンス? 抽象的な表現だから。

しかし、リアルを伝える時、
頑なに何もしない人を私は知っている。
魂 を信じてるらしい。
ある芝居では、何もしないでいたら演出をつけられ、
その動きだけをやり続けた。
そして誉められていた、何も知らない人に。

なんて、傲慢なんだろう。
その人は、その芝居で、せりふを言うと、ただ歩いてはけていった。
無防備に。
照明はなぜもう少し明かりを落としてあげないんだろう。
はけていく様がこんなに気になる芝居はなかった。
俳優は、その役の感情ではけていると言うのだろう。

でも、感じられないんだ。悪いけど。
伝達の基本をまったくわかってない残念な人だ。
一生懸命思えば伝わるなんてことはない。
「祈る時には行動もしろ」なのに。
そういう人が、いかに自分が懸命に俳優道を歩んでいるか を
語るのを聞くと無性に腹が立つ。

映画では、その人の表情を、
うまいこと切り取ってくれるだろうけど、
カット割りが多くなるのは、
俳優がヘタだからって意味も往々にしてあることに
その人は気づかないに違いない。


確かにかつてその人には魂があったに違いない。
激しい何かが。
世の中を認めたくないという怒りや憎悪が。
それが、舞台で輝いたことがあったに違いない。
しかし、その奇跡を当然のように思い、
それを仕事にしはじめたとき、
その人の魂は汚れてしまった。

断っておくが、
仕事が汚れたものなのじゃない。
仕事は工夫するもので、
自分の魂を使うものじゃない。
魂は仕事の原動力なだけだ。
魂は見せるものじゃない。
否応なく滲み出てしまうものだけど。

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