セゾニアさん、カリギュラの本。。訳者からの旬君

先日発売されました、 舞台『カリギュラ』の台本の翻訳をされた岩切正一郎さん翻訳の「アルベール・カミュ (1) カリギュラ」。

若村麻由美さんの日記。。。
http://syunca.at.webry.info/200809/article_6.html

一部を。。
あとがきに稽古時のエピソードなどがあり懐かしい
岩切先生は、私たちの質問にいつも誠実に考えて答えてくださった
稽古場に訳者がいてくださるのは、翻訳劇をやる時、本当にありがたい
特にこのカリギュラの美しい文体を自分のモノにするには…

千秋楽の日に
オレが死んだら、これを追討公演してくれるかな〜」と、ちょっぴり真顔で微笑んだ演出の蜷川さんを思い出す。この作品の美学が本当にお好きなのだ





この日記にもありますように、訳者あとがき の中に舞台「カリギュラ」の稽古を岩切さんが見に来られた時の事が書かれてあります。
舞台が連日盛況だったことにも触れ、訳した方にとっても、カミュの世界の演劇。。演出や稽古の様子に、驚きを持って魅力を語っていらっしゃいます。



訳者、岩切正一郎さん思いがけない発見として、ひとつ例として挙げた旬君の話。。。。

カリギュラが最初に登場するとき、ト書きには、「不明瞭なことばをつぶやき」と書いてある。
小栗さんに、「何をつぶやいているんでしょうか」とぼくはきかれた。正直な話、そこで何をつぶやくかまで、僕は考えていなかった。思案するうちに、この問いは実に重要なポイントを突いていると思えてきた。ここでカリギュラが自分に向かってつぶやきながら、一人抱え込んでいるものを外在化させるのが舞台という場だ。
その「不明瞭」なものが次の瞬間から今度は他者を相手にした対話の場へ噴き出し、芝居全体をつらぬいて形をとる。それを準備するマグマがそこにある。それを意識した上で、初めて「不明瞭につぶやく」という演技も成立するわけだ。

カリギュラ』は基本的には互いの考えをたたかわせる台詞劇である。蜷川さんはケレアがカリギュラを評していう「非人間的なこの抒情」という表現が特に気に入ったようだ。


旬君らしいな。。とつくづく思います。
納得いくまで周りの方に訊いて。。考え。話し合う。。それでもまだ 他の方にも訊いて。。より理解を深めて、いいものにしていこうとする。。

セゾニアさんの日記のように。。蜷川さんが「カリギュラ」の世界を、舞台を、こんなに好んで下さっていることがとっても嬉しいです。是非同じメンバーで。。。



コチラは以前の、セゾニアさんと、カリギュレンジャイで集まって。。落語に行っていた時の。。。
カリギュレンジャイ出動 若村麻由美 公式BLOG/ウェブリブログ