上の本を読んで。。追記しました。。


まだ。。まとまらないままですが^^;。。お暇がある方に。。



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あやのさんのコメントは。。「たじょーまる」の時も感じましたが。。誠実さ。。純粋さが伝わってきます。。。。


旬君。。。想いがちゃんとあるから。。言葉に説得力があるんですね。。


そして。。なかの監督が。。旬君の言葉の選び方。。表現力が優れていると仰って下さってましたが。。本当ですね。。


脚本家の気持ちを掴み。。素敵な作品を作って貰えることになって。。

今回のインタビューのように言葉も魅力的ですが。。
それだけでなく。。
2008年のインタビューにあるように「力になってあげたい」と思わせる彼の人柄が大きかった。。からでしょうけど。。^^


独特な雰囲気のある。。。あやのごうさんに。。
今までとは違う役どころで。。新たな魅力を出させることに。。^^
観てみたいですね^^。。


役者さんとしても。。とっても素敵な旬君ですけど。。
演出家さん。。としても。。人真似ではない。。才能も感性も豊かなものを持っているようで。。素敵ですね。。


2009年。。
「たじょーまる」「そにえりのシキ者のCM」「みつなり」「はやしせいじ君」「こじろう」。。と。。お芝居の作品が重なり合って多忙さが伝わる中で。。

間際に出来あがりそうな「むさし」の台本に。。対応できるような。。時間や体力が。。旬君にあるのか。。凄く心配しましたが。。立派に こじろうを見せてくれました。。

それだけでなく。。
監督作品の準備も。。進めていたんですもんね。。
どんなに大変だったでしょうね。。



睡眠時間を削って。。頭が働かないような体調だったでしょうけど。
それでも。。作品を大切に。。準備を進めて。。

役者さんとしても。。少しのマイナスも感じさせることなく。。。
「こじろう」も「みつなり」「はやし君」も。本当に見事でした。。


23歳になる少し前。。「ぐうぜんの音楽」の頃に むとうさんに。。自分で書こうとして出来あがらなかった。。作品のお話しをして。。 
夢が。。形のある脚本に。。


数年前の雑誌でも。。ながつかけいしさんとの対談でも。。「自分で脚本を書こうとしたけど。。うまくいかなかった。。」。と話していましたが。。
常に。。旬君の心の中にあった。。大切な作品だったと思います。。。


誰かに薦められたり。。賛同を得た演出。監督ではなく自ら希望したこと。。


雑誌や。。2年前の「てつこの部屋」でも話がありましたが。。
「にながわさんに。。演出にも興味があるって話をしたら、
演出家になったら。。客観的に自分の芝居をみるようになるからダメな役者になるよ』って言われた。。」という話をしていました。。


それでも。。旬君は。。「やりたい。」。と想い続けて。。言い続けて。。^^。。。
本当に想いが揺るがない人です。。



今年のANNの中では。。にながわさんに「演出をやるなら。。」と。。本を薦めて頂いた。。という話がありました。。旬君の想いは本気なんだと伝わったようでした。。^^


映画監督の撮影。。編集。。そして取材。。公開の時期。。

例え。。他にどんなに 嬉しいお仕事のオファーを頂いても。。
この事と。。重なっても可能なモノなら受けたものもあるでしょうし。。。
不可能で。。断ったモノがあったとしても。。。

これだけは何としても。。形にしたい。。と。頑張った監督作品だったのでしょうね。。。


むとうさんが。。2008年の「ぷらすあくと」で。。
「[おぐりしゅん]に賭けたから出来た。
役者じゃなく、監督としての[おぐりしゅん]に賭けてみたいという気持ちで。」。と仰って下さってましたから。。

プロの脚本家さんが。。事務所からのお願いでなはく。。
「一人の男の子の夢の話に乗って。。3カ月も。他の仕事をしないで書いて下さった。。」
その想いに。。必ず報いたいと思った事でしょうね。。


ANNで。。りょうちゃんがゲストの時に。。「ちょっと売れたから。。作ったんでしょ。。と思われると思うけれど。」(みたいな。。)。どこかでそんな見方をされてしまうだろうけれど。。と話してました。。

そうですよ。。違いますからね。。^^
自分で書こうとして。。ついつい書きたいことが増え。。納まらなくなり。。
親しい脚本家さんにお願いして書いて貰った作品。。
アニメや。。名作からではない。。旬君と。。むとうさんのオリジナル。。


書いて貰うことを。。
プロの方にお願いした事の。。大きさ。。

ちゃんと監督をやって作品にして。。その執筆のご苦労や時間を「単なる好意」ではなく。。
「お仕事」にしなくては。。という。。
旬君の。。人としての真摯な応え方。。感謝の表し方。。だったと思います。。


準備にも。。制作にも。。時間が無くても。。
自由に撮れるほどの製作費が。。無くても。。

与えられたギリギリの時間。製作費。体力で。。精一杯出来る限りを尽くした作品ですね。。

撮り終えた頃は。。色々と。。「もっとこうすれば良かった。。」と。。反省点もあるようなお話でしたが。。

その後。。編集や。。音楽を入れた作品作りが進められて。。今では。。
みんなに見て貰えるのが楽しみ。。って伝わってくることが。。
本当に嬉しいです。。(*^-^*)



「しゅあり〜」を社長に見せたタイミングが。。
たまたま。。「くろーず」の脚本で。。社長がOKを貰えずに行き詰っていた時と重なってしまい。。
「しゅあり〜」の脚本を気に入った社長が。。むとうさんに「くろーず」の脚本もお願いし。。原作者に。。ようやくOKを貰え。。
旬君が出ることにも繋がっていきますが。。「ぜろ2」にも。。


社長の強い想いで企画された「たじょーまる」にも出て。。。
社長の夢を叶え続けてきた旬君。。
さまざまな旬君を見てきて。。
役者としてだけでなく。。モノづくりをする者としての信頼も得て。
やっと頂けた。。監督映画制作の機会だったと思います。。


むとうさんが仰った。。「2006年の6月に原稿が出来上がってすぐに見せたら(君)『もうこのままでも撮れます。』って言ってくれて。。
実は僕はその言葉で満足してしまって、この脚本に関しては完結していたんです。。

その直後に。。やまもとまたいちろうさんから。。「くろーずぜろ」の脚本を任せたいと。。
これであの脚本(しゅありー〜)も報われたなぁという感じで。
だから「しゅありー」をやるって聞いた時は「え?!やるの?」っていう感じでした。。」とありましたが。。

「くろーず」を任された時点で「しゅありー」が現実に映画なるとは思って無かった。。。
ちょっと。。。。旬君の「しゅあり〜」的な要素が。。くろーずの方に。。繋がるような感じのものだったのでしょうね。。

(12月30日のラジオで。。。
武藤さんと一緒に
初の映画脚本デビュー。。
初の監督デビュー。。
と。。一緒に。。飾りたかった
。。と。。^^
そう言う意味での「残念そうな」。。想いだったのですね。。)

某雑誌のインタビューで。。旬君が。。「(笑)付き」でしたが。。ちょっと残念そうに。。語っていたことにも通じます。。

旬君にしてみれば。。最初は。。「え?大切な作品がこっちに?。。」。という想いがしたと思いますが。。

社長の希望で。。旬くんが「やりたい」と望んだこととして。。伝えられてもいて。。

ここでも書いていますが。。
http://d.hatena.ne.jp/sanahanna/20081108/1226073400

それでも。。原作ファンの多い。。「くろーず」の世界の実写化も精一杯臨んで。。ゲンジも とっても素敵に演じて。。素晴らしい作品になりました。。


睡眠不足。。準備不足でも。。時間不足でも
監督のチャンスを貰えたことに感謝して。。

「夢」を形にして下さった武藤さんに。。必ず映画にして報いようと。。精一杯尽くして。。。。

旬君のオファーを受けて下さった。素敵な。。仲間や。。先輩方に感謝して。。


映画という形になって本当に。。よかったですね。。。。

大きなゲツ9の準備と撮影も。。
映画の撮影と編集と重なって。。

並大抵の努力ではなかったでしょうけれど。。もの凄く頑張って。。
夢は叶えられる。。を実現した旬君。。

旬君が。。ハードな中で 大切な夢をひとつ実現できたことが。大きな励みや。。パワーになって。。
これからの旬君の道が少しでも。。明るく照らされて欲しいです。。。。

****亡くなった ほそかわマネージャーさんに。。旬君が贈った言葉。。****

長く険しい道のりをいつも前で照らしてくれ。。
迷った時、くじけそうになった時、いつも
「大丈夫・・旬は大丈夫だから。」
・・・その言葉に助けられました。。
「本当はまだまだ照らして欲しかったけど、
これからはなんとか自分なりに
手探りだけど必ず歩き続けていきます。。。

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マスコミや。。雑誌のライターさん達に。。
大切に。。世間に伝えて貰いたいです。。