オフィシャルブックより(1)。。山本P。。

。。一部を抜粋。。
略。。

小栗旬が16の時。事務所の食事会で将来の夢を聞いたら「僕、監督をやりたいんです。」と言ったんですよ。そのころから思い続けた夢だから、この作品に傾ける情熱はものすごいものがある。
まして、何事にもおざなりに出来ない性格だから、監督としての熱意に反比例するように、俳優としての仕事が立ちはだかるわけです。しかし、どちらの仕事に対しても妥協がないから、結局は睡眠を犠牲にするんです。

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12年以上のつき合いが制作の過程で、その深い信頼が、常にプラスに作用したわけではなかった。

「イン直前になって。。小栗が監督を辞めたいとメールで言ってきましてね。ああ。僕はやり過ぎてしまったなと思いました。」

監督ととことん詰めていく。。僕のやり方なんですよ。もっと良くなるんじゃないか。もっと手だてがあるんじゃないか。。と。クリエイションというまったく妥協のない、とても厳しい話をするんです。
12年間。ある意味パートナーとして一緒にやってきた小栗が、映画制作と言う僕のフィールドにやってきて。。初めて冷水を浴びるようにその洗礼を受ける。
小栗が監督をするわけですから、僕はいつも以上に根を詰めてしまった。

小栗のプランに口を出す。。そんなことでは成立しない。。と。
小栗「大丈夫です。僕に任せて下さい。」
P「何億もお金をかけるんだ。理解出来ないことは任せられるわけないだろう。」と。
これまでいつも一番の味方であったはずの僕が、最大の批判者になったように見える。そういう苦しさも小栗にはあったんでしょう。
ついに監督を降りたいと言って来た。
追い詰め過ぎたな。。って思いましたね。
だけど。。常日頃から名作でも直したいところがあると言ってる僕がいて。。小栗の第1回監督作品だから用心深くなるのも。。拘るのも当たり前なんですよ。

でも最後は「俺もやり過ぎた。絶対面白い作品になるから。自信をもってやれ。」と返しました。。
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監督とキャストが現場で話して。。より良くするために変更していく。。。。
そのために。。スタッフの認識していることや準備したこととのズレなど。しっくりいかない関係になる状況も起きた。。

その状況を監督という立場でしっかりまとめたことで小栗組の意気がグンと揚がった。
その熱がエネルギーとなってクリエイションを支える。
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現場にはほとんど行かなかった。。小栗も来てほしくなさそうだったしね(笑)
もともと撮影に関しては僕は現場では口を出さない。けれども編集は違う。

多くの人に面白いと言ってくれるためにはどうしたらいいか。そういう広いレンジで企画から興行まで全てに関わるのが僕の仕事です。

観客へは勿論。出演者にも責任がある。配給者は勿論。スタッフに対しても作品の成否は影響を与える。。だから編集には口も出しますよ。

しかし。。小栗の編集を 4日かけて吟味したがほとんど大きな直しは無かった。

今回小栗は脚本家の武藤将吾と脚本を開発し。。それを持ちこんで自分の手で映画にした。良く頑張ったと思いますよ。

エンドロールで最後にクレジットされることの意味は作品の創造性において最も貢献した人であるはず。現実には名ばかりの監督であっても最後にクレジットされるわけです。。

そんなに単純な図式で最大功労者を論じられるわけでもないけれど。。
今回の小栗は正真正銘。。最後にクレジットされるに相応しい仕事をしたと思う。
エンドロールの最後に「監督  小栗旬」とクレジットされるのは。。全工程。。小栗が踏ん張った結果であり。。その証なんだよね。。

今でも思い出すのは2008年の終わりに僕のところにやってきて「来年撮れなかったらもう。。いいです。」と最後通牒を突き付けられたわけ。

それくらいの決意で小栗はずっと準備してたんだね。黙っていた時でさえずっと心に「シュアリー・サムデイ」を燃やし続けていたんだなと。

略。。