武藤将吾さん。。

しつこいわたし。。まだ。。書きます。^^。。

旬君は。。武藤将吾さんという大切な友人が。。自分に対してしてくれた重み。。大きさを十分知っていたから。。どうしても映画化をしたかったんですよね。。
そして脚本料をちゃんと払いたかった。。

2004年7月。。「ハングリーキッド」という深夜ドラマで。。当時無名の脚本家武藤将吾さん(当時。。武藤大助。。)の初の連ドラ。。で出会い。。
2005年。舞台「偶然の音楽」を観に来てくれた武藤さんに。。書きたくて書けなかった脚本を書いてくれませんかとお願いをして。。

武藤さんは。。小栗旬という俳優の話に心を動かし。3か月も他の仕事を断って旬君の話の脚本を書いて下さいました。

脚本を書くことを決めたのは。。役者じゃなく、監督としての小栗旬に賭けてみたいという気持ちで。「力になってあげたい」と思わせる彼の人柄が大きかった。。と。

武藤さん:出来あがった脚本に。小栗旬は満足げな笑みを浮かべて「今日は僕がおごります。」と言った。
これは。。最初に居酒屋で話をした時に「面白かったらご馳走する。」という約束を交わしていたから。
その初稿をとても気に入った彼は。。一緒に朝まで飲んで。。話は尽きず。。すべてを奢ってくれた

武藤さんは旬君の笑顔が見れただけで充分だった。。と以前から仰ってました。。

大人が知ったつもりで書く青春映画ではない青いと思われてもいいから若い感性がスパークするような映画を創ろうと決め。。好きなように書かせて貰うことを条件に、脚本料は映画化が決まったら貰うことにした。」そうで。。

だから。。旬君は。。どんなに忙しくても。。大きなお芝居のお仕事をしていても。。映画化をして脚本を書いてくれた武藤さんに脚本料を払いたかったのですよね。。
何だろうね。。どこまでも。。素敵な人達。。

本当に。。忙しい中。。多くの素敵なキャスト。。スタッフのみなさん。。エキストラのみなさんに協力して貰って。。こんなに素晴らしい作品を作ってくれて。。

エンドロールで。。
ハートマーク。。関わってくれたすべてのみなさん。。ハートマーク

とあって。。感動しましたが。。

全然関わってもなく。何にもしてない。sanaですが。。旬君の喜びが解ってる。。くらいに。。(おい!)。。本当に嬉しいです

シュアリー・サムデイバンザイ。(*^▽^*)/