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旬君のお父様。。オペラの舞台監督さん。。

クラッシックの指揮者の方々や。。スタッフさんからのお話でも。。
お父様の。。信頼されるお人柄や。。お仕事ぶりが伝わってきて。。
旬くんが尊敬するのがよく解ります。。
(*^-^*)

でも。。お父様は。。旬君の芸能界入りに理解はしても。。後押しなどされてない方。。
2007年に。。「最近になって応援してくれるようになった。。」。。と言ってました。。

たまに。。芸能一家で親の七光り。。と書かれたりしているそうですが。。
芸術に携わっていらっしゃる御家族ですが。。その力によって。。旬君をお願いした。。なんてことは全くないですよね。。


もし。。そうだったら。。。なんなく大きな事務所に入っていたでしょうね。。


児童劇団時代の子役で。。苦労してオーディションを受けてダメだったり。。受かって大きな作品のレギュラーを得ても。。ちょっとマイナスなイメージの役だったり。。。。現場で。。ひどい扱いを受けることもなかったでしょうね。。
くぼづかさんに 事務所入りを紹介されるまで。。お月謝を払ってお仕事をしてたのですから。。
習い事として。。お芝居を許可してたようですもんね。。



高校を辞めて役者になる。。と決心した旬くんに。。
お父様は。。「高校退学」にも、「役者で食べていくこと」にも。。反対はされなかったと。。ただ。。
「学生じゃないなら家を出て行け。」と。。


旬君は家を出るために必要なお金が貯まるまで待って貰って。。役者のお仕事と。。バイトでお金をつくり。。その後。。本当に自立してます。。
お金が足りなくて。。よく もやしを食べていたと。。


ご実家を頼って。。食べさせて貰ったり。。生活面でも。。援助して貰ってなさそうでした。。


末っ子の可愛い旬くんが家を出て。。不自由な暮らしをしていることに。。お母様が胸を痛めていらしたようですが。。お父様の育て方に従っていらしたようです。。。。
お二人の。。辛いけれど甘やかしては本人のためにならない。。という。。真の優しさ。。


役者として生きて行く厳しさ。。
それを乗り越える強さが必要だということでしょうか。。


芸能界で。安易に成功するように。。なんて。。全然手助けなさって無いおうちですよね。。


ご両親も。。旬くんも。。みなさん。。本当に偉いですね。。多くの家庭では。。ムリだと思います。。

旬君の誠実な性格や。。真面目さや。。頑張り屋なところを。。信じてないと。。きっと出来ませんね。。


(雑誌で。。旬くんは。。めちゃめちゃ可愛がられて育った。。でも。。しつけは厳しかったと言ってます。。
食事も。。お母様がちゃんと作ってくれて。。体に良くないモノは食べさせて貰えなかった。。
流行ったお菓子で。。水で溶かして。。練って食べるもの。。それを決して買って貰えなかったそう。。
家だけでなく。。友人の家にも頼んで。。「旬には食べさせないで。」と。。
(それには。。旬君は「ムカついた。」。らしかったです。。(笑)。。)

でも。。それくらい。。子育てにはきちんとされていらしたようです。。)


一人暮らしを始めても。。友人たちがご実家に集まるときは。。旬君も行くことがあったようです。。

2005年の「はなまるカフェ」に出た時には、お母様からのお手紙が読まれて。。
「この前は楽しかったね。」と友人達が実家に集まってみんなで食事をしたというお話。。

「普段。。食事の用意をする時にあなたに食べさせてあげたくなります。。あなたがきちんとした食事が取れてないのが心配です。。
また皆と食事をしにおいで。」というお手紙でした。。旬君は。。涙ぐんだ目を拭きながら。。照れて笑ってました。。)


お父様の力で。。苦労なく芸能界に入った。
映画制作会社だから。。主役作品を作って貰った。。


というのは。。旬君のこれまでを観て来たファンにはびっくりな話ですね。。


いっぱい苦労をして。。自分の努力と(才能や魅力もあってでしょうけど。。)。。マネージャーさんたちとの頑張りで。。ひとつずつお仕事を得て。。少しずつ認められて。。人気が出て。。成功したのですもんね。。


それがあって。。
後で。。お父様と親子だと解り。。
原作者や。。監督の希望で。。主役のお仕事も出来て来たのですもんね。。